** Hello world

映画とか本とか好きなものとつぶやき

私の中の運と努力の関係

常日頃、基本的に人生は運でできていると感じています。

 

素敵な才能のある人や立派な学歴を持った人でも、家庭の環境や健康問題、周りの状況などなど色々な事情によって、それを活かせる状況にない(なくなった)人を見てきているからです。

思いがけない事故や病気、人とのめぐり合わせだったりもする。

ちょっとした人生の組み合わせの運によって、選択肢が限られたり生き方が左右されてしまう。

だからネットでよく見かける、人生に苦しんでいる人に対する安易な自己責任論や、負け組と揶揄する論調にはとても違和感を感じるし、同調して「自己責任だ」、などとそれこそ無責任な言葉を投げる気にはなれません。

 

でも人生が運だからといって、才能や努力、勉強が必要ないかというと、そうは思いません。

才能や努力や勉強は、運を生かしたり殺したりする。

 

私にはグラフィックデザイナーの友人がいます。

何年も前、友人は私にイラストレーターとしての(単発でない)仕事先を紹介してくれました。

当時は会社員でエンジニアとして働いていた私。

絵を描くのは小さい頃から大好きだったので、私のイラストを見てそう思ってもらえたのが嬉しかったし、「やりたい!」と思いました。

でも、当時はまだ親や世間体からの呪縛が解けず、「絵は遊び、役に立たないもの」という意識が潜在的に根を張っていました。

絵についても、努力することを諦めていた。

私にとっては、夢とはあくまで遠い世界の話だったから。

そして仕事として認めてもらうためには、売れっ子のイラストレーター並のものが描けないとダメだと思っていました。

 

今なら、

 

せっかくのチャンス!漫画家さんだって描いていて絵がどんどん上手くなったりしてるし、センスが磨かれたりもする。

コストの関係で神様みたいに上手くなくても系統が合えば発注してもらえることもあるし、仕事が少なくても会社員をやめるわけじゃないし、技術を磨いて増やしていけばいい!(゚▽゚*)

 

と浮かぶのですが、当時はそう思うことができませんでした(´Д⊂

結局、紹介してもらった仕事を受ける決断ができませんでした。

 

私が小さい頃から、親の圧力に潰れずに努力していたら・・!と思います。

少なくとも手を差し伸べられたあの時、思いきれていたら。


その時囚われていた価値観によって、自分が本当にやりたかったこと、努力や勉強をやめてしまったことを後悔した出来事でした。

 

そんな経験からも、才能を伸ばしたり、自分のやりたいことへの努力や勉強は、よい運に上手く乗ったり掴んだり、苦しい環境や状況から離れる助けになってくれる、必要なものだと考えています。

 

でも環境やそれまでの生き方、色々な呪縛が、どれほど強く思考を支配し、気力を奪っていくものかも身にしみて知っています。

余りにも苦しい状況に置かれたり、目の前がいっぱいになってしまうと、望まない選択をしていることや、違う選択肢があることに気づけなかったり、助けに手をのばせなかったりもする。


だから、苦しくて上手く動けない、判断できなくなっている人に「違う選択肢もあったね」と返すことはあっても、「自己責任だ」とは簡単に言えないと感じます。


でもそれと同時に、苦しい状況ならなおのこと、可能な限り運を活かせるように、自分の可能性や、自分の本当の気持ちを見失わず努力や勉強をすること、色々な選択肢を知ろうとすることを諦めない方がいいなと思うのです。

きっとそれは救いや支えのきっかけになるから。

そんな風に思っています。